ゆとり文〜ゆとり世代の書く感想文〜

哲学的なことや心理学的な事を考える事が好きです。色んな人と意見交換できたらなーと思ってます。

表現者は自問自答を続けないと表現にズレが生じる

僕は自己啓発本などに多い「人はこう思うべきだ。こう思うことが正解だ。」という表現物に違和感を覚えます。表現についてどのような感想を持つか、それを見てどう思うかというところは受け取り手の自由でなければいけないと思うんです。

最近本屋で自己啓発本のコーナーをよく見ます。それれのタイトルや帯には「成功するためには⚪︎⚪︎でなければならない」と書いてあります。僕はそれに強く違和感を覚えるのです。
表現物は自分の考えを表現するものであって、それを見て受け手が何を思うかは受け手の自由です。しかし、「成功するためには⚪︎⚪︎でなければならない」といった表現は受け手の考え方を一つのものに強要しています。それを見て受け手がどう思うかについての自由を奪っているように感じるのです。
表現の受け手がどんな感想を持つかは、表現者のコントロールできる範囲の外にあるのだと思うのです。
しかし一方で、「これを見てどんな感想を持つのだろう?」「この表現で受け手にこう思って欲しい」と考えることは非常に重要なことです。それがなくては、独りよがりな表現になってしまいます。
では、表現者はどのようにあるべきなのでしょうか?これについて仮説を立ててみました。


徹底した他者貢献の気持ちで表現を作る


受け手の感情がどうあってもいい。でも、受け手に向けて何かを表現したい。
そう思うためには受け手に「こう思ってもらいたい」「こんな考えがあることを知ってもらいたい」ということを見返りなしに行えることが必要なんじゃないかと思うんです。そしてそれをするためには必要なのは他者へ何かを見返りなしに与えることができるだけの余裕が必要になります。
ということは、表現者は満たされていなければいけません。満たされた上で何かを与えるという行為を選択するような他者に何かを与えられる人間である必要があります。承認欲求を満たすために表現をするなど、この理論からいくと論外です。


他者の感情や感想を特定のものに限定させることは洗脳と同じです。ヒトラーの演説のような危うさを持っています。表現者は今自分が何をするために表現しているかを見極め、自分の表現がどのようなものになっているかについて自問自答を続けていくべきでしょう。