ゆとり文〜ゆとり世代の書く感想文〜

哲学的なことや心理学的な事を考える事が好きです。色んな人と意見交換できたらなーと思ってます。

感情がどこからくるものか考えてみましたが、結論よくわかりませんでした。

今回は意図的に作り出す感情とそうでない感情について考えてみます。
 
科学の進歩により脳のどんな神経活動がどんな感情を引き起こすかが分かってきました。そのため、自分の気持ちをコントロールする事も可能になってきました。感情を意図的に作る事はもはや難しい事ではありません。
そこで気になる事は、今の自分の感情は自分が意図的に作り出したものか自然に発生したものかの境目です。結論から言うと、はっきりとこの二つの境目がどこにあるかは分かりませんでした。試しに自分に当てはめて考えると、今の感情を意図的に作り出したという事が正しいと思えるし、同時に自然に発生したという考えも成立している気がするのです。
具体的に考えてみます。僕は今3連休の幕開けに心は開放感で満ちています。端的に表すならば「楽しい」です。この「楽しい」という感情は3連休をより素晴らしいものにするという目的の為に意図的に選んでいるのか、もしくはただ会社に行かなくていいという事実から自然に発生しているものなのか…感覚的にはどちらも正しい気がします。今の僕にはどちらが正しいかは分かりません。
 
意図的に発生させた感情と自然に発生した感情の区別がつかないのならその2つをわける必要なんてないのでしょうか。僕は、そうは思えないのです。夢に向かって進む為に自分の中のネガティブな感情を封じ込める、まさに意図して感情を作っている人に違和感を感じるからです。
目的の為には前向きになれ、能動的になれという事は常々言われている事です。目的達成の為にネガティブな感情を捨ててポジティブな気持ちを持つ、それはまさしく意図的に感情を作り上げていると言えます。それを端から見ると、僕はどうしてもカルト教団の信者や洗脳された人のような不気味さを感じます。
 
もしかすると、感情は意図的に作り出したものと自然に発生したものにわけるべきではないのかもしれません。自分で言い出した事ですが、この前提を疑ってみます。
先ほどの僕の事例と、音楽で有名になる夢に行き詰まりながらも前向きになる為に「今が楽しい」思い込んでいる人を比較してみます。後者は自然に感情が発生しているとは言えないので、両者とも感情は意図して作り出したものとして考えてみます。そうすると両者にある決定的な差は「選べる感情の種類」だと考えました。
先ほどの僕の事例では、選べる感情は多くあります。こうしなきゃいけない!という縛りがないからです。一方、後者は前向きな気持ちになる為には「楽しい」という選択肢以外をとる事ができません。
 
いや、でも僕が3連休を楽しむ為にも「楽しい」と思う以外に道はないような…
 
なんてことを考えていたら夜も更けてきたので、今日はここまでにするとします。「感情の出所」についてはもっと考える余地がありそうです。