ゆとり文〜ゆとり世代の書く感想文〜

哲学的なことや心理学的な事を考える事が好きです。色んな人と意見交換できたらなーと思ってます。

承認欲求からくる表現に対する違和感

「誰かに認めてもらいたいという承認欲求こそが表現の原動力」といったような言葉をTwitterで見ました。これはある意味では正しいと思いますが、同時に表現物が自分本位のものになるという危険性もはらんでいると感じました。

表現の技術は非常に高度化してきています。視覚効果や音、言葉の言い回しなどでかなり見る側の気持ちを操作することができます。それの極端な例で言えば、サブリミナル効果を使った宣伝などがあげられます。受け取り手側の思考を操作することは、もはやかなりのレベルで可能なものとなっているでしょう。
そのため、「これを見て自分の考えをわかって欲しい!自分を認めて欲しい!」といった欲望を満たすものを作ることは可能であると思います。そういった欲望を持った人たちにとってはそれほど魅力的なものはありません。
しかし、それは危険なことでもあります。宗教的な洗脳と同じで、自分の思うがままに他者の思考をコントロールできてしまうということです。考えを強制することは権利の侵害に他なりません。
そのため僕は、表現が踏み込んでいいのは考えや思いを提示するところまでであり、そこから先の選択は受け手に委ねるべきだと思っています。

では、承認欲求を満たすことを否定するならば、人はなぜ表現をするのか?正直、この問いに明確な回答が思いつきませんでした。
考えつくのは、純粋に表現そのものが好きな人か、他者への無償の奉仕がしたい人でしょうか。正直僕はそのどちらでもないような気がしています。でも、自分の考えていることを表現したいという漠然とした気持ちがある。
とりあえず、なぜそう思うかについてはやりながら考えていこうかな、と思います。